滝沢馬琴子の部屋

春の訪れ

   カメラ雑誌の相次いだインターネット撤退から年が明け半年たったが、未来は閉ざされていくばかり。日々の写真も体調不良のため閉ざしている。

  去年の授産所でのいじめから授産施設に行くのが怖く家に閉じこもっている。せっかく、暖かい日々が来たと思ったら昨日の雪。ああ、我が人生もどうなってしまうのか?嘆く毎日。

 

 

                          2018/03/15 木曜日

                                jin hayama

無人の街

  地方での過疎化が進む中、都心部でも無人の街化が進んでいる。

昨今の投稿写真を見てください。物で溢れかえる街の写真には人がいながら人がいないのだ。

もしも未来、理想郷が出来、人々の心が穏やかな時代が来た場合、今の時代の写真を見た未来人は、

これは、第三次世界大戦がおこり核戦争とかが始まり人々はいなくなってしまったに違いないと思うだろう。昨今の糞写真時代の始まりだ。

 

 

 

                   2017/02/24  jin hayama

 

恋愛について

  毎日毎日、朝から、愛してるとか、恋してるとか、くっつくとか、別れるとか、

唄っている。それほどメンバーの恋愛は難しいのだ。

  カラオケというのは相手に聴かせるだけの一方通行。でも、本当の恋愛は持ちつ持たれつ双方向、

言うまでもない、われわれは生きていくだけで精一杯だ。持ちつ持たれつだなんて、、、、。

  ともあれ、彼女たちの心の叫びは永遠に続く。

 

 

 

               jin hayama 2017/02/15 水曜日

送迎について

  ぼくの通っている施設には送迎がある。毎日毎日、職員の方々がぼくらを施設までの道のりを送り迎えしてくれるのだ。

運転手は所長だ、車の中は和気あいあいでみんなそれぞれ言いたいことを言っている。所長はそんな言いたいことを言える雰囲気をつくってくれるよい人間である。

  ある日、若い職員さんの運転で所長とみんなを乗せて家路に向かう中、あらかた2/3位まで来て突然、所長が「ちょっと忘れ物をしたか?しないか?」といったものだから

、もう大変。女子の方々は「戻りましょう戻りましょう!」と口々に。ぼくは落ち着き払って「まじですかぁ?」所長「わかりました、わかりました、そのまま行ってくださいね。」なんて話の分かる人だろうとぼくは思った。ともあれ「まじですかぁ?」を喰らってしまえば行くしかないのだ。

 

 

                         jin hayama 2017/02/14

お葬式について

  母のお葬式が行われる。有難いことにぼくと彼女の家の近くの葬祭場で行われることになった。

彼女も病弱で苦しんでいる仲間だ。そんな彼女が、どうしても僕の母親の葬儀に来るという。

いささか心苦しいが、ぼくと苦しみを分かち合ってくれるという。

  ぼくも彼女の本当の優しさに触れ、人間の良心なんてこんなところからかいま見えるものだと思った。

 

 

                        

                  jin hayama 2017/02/14  火曜日

バレンタインデーについて

 きょうは、バレンタインデーだ。

いくつになってもバレンタインデーは心がときめくものだ。

小さな心をときめかせながら、施設に向かった。

施設には女性の方が数名おいでになられる、彼女たちはバレンタインをなんだと思っているのだ。

例えかあちゃんがいたとしても、義理くらいはあるだろう?

と思いながら今年もその他大勢で終わっていく。

 

                             jin hayama  2017/02/14

 

人生について

 きょう、おふくろが逝った。ちょうどぼくが病院についた時、病室からベッドが個室に移され最後の診察がおこなわれた。

医師の告げるご臨終ですの声とともに力がぬけた。病室のカーテンに差し込む午後の光が妙に印象的だった。

 人の一生って、大きくなって結婚して子供を育てて一生懸命働いて、ああいい人生だったねで終わっていく。

それが、理想の人生かもしれない。親父も去年の3月に亡くなった。おふくろは親父の後を追うように亡くなった。

 ぼくの両親はおしどり夫婦だとおもう。親父が65で退職すると二人は西日のあたる庭で日がな一日薔薇を育てていた。それが20年間、ぼくは邪魔をしないように見守った。おやじが庭に出なくなると毎晩夜中に大きな声で唄を歌っていた。幸せだったのだろう。おふくろも、ぼくが行くと本当に穏やかな顔を見せた。今の世の中20年間ふたりして薔薇を育てることがどんなに難しいか、ぼくは知った。

 こんなに平和な世の中だって、そんな些細な幸せを続けることが難しく思う。1億総活躍、老人は75歳から、あんたらいったいいつまで老人を働かせておく気なんだ。

                                    2017/02/13 jin hayama

 

生ける屍

私は40歳の精神障碍者です。恋人も同じ病でおまけに生活保護費

を貰っているので、結婚は経済的に不可能です。子供も欲しくないです。私達は例えコンドームを付けても100%安全でないのでセックスが出来ません。

私はここ2年位で20kg痩せ、素敵な体型になりました。風呂場の鏡で見る度に自分でもほれぼれする位です。それでも大切な人とセックスが出来ない。彼はもし子供が出来たら育てようと言いました。信じられません。

 私は後40年夫も子供も居ない人生を送ります。大変不幸です。作業所の職員の妹さんも私達と同じ病気です。統合失調症です。彼女の友人達の多くは自死したそうです。私の母にそう言って居たと伝えたら、

「**さん、問題発言多過ぎ。」と言いました。母は三姉妹の中で私だけが病気になったのは遺伝で誰にでもその因子はあると発見したと悦に入って居ます。私はそんな母を好きになれません。

私はこれからどう生きたらいいか解りません。自死は怖いので、病気にでも罹って苦しまずに早死にしたいです。私なんか生きている意味なんて何も無いです。生ける屍滝沢馬琴子40歳独身。

 

 

 

 

文   滝沢馬琴子

                   2016/08/13 sat.

梅雨の夜

こんな梅雨の夜、俺は生きていた。毎日毎日が辛い日々だったけど、どう言うわけか秦野に来ている。俺はあれから、けぴと別れグループホームで1人でやっている。とりあえず飯を食い授産施設に通いながら。辛い日々を駆け抜けた。テンポが早い毎日がまたゆっくりとあゆみを緩めた。カメラが手に入らないのでとりあえず散歩。
朝早く起きて散歩をするのを弥勒寺にいた頃は日課になっていた。
   俺は裏、あくまで裏方で写真をとる。写真家は写真を撮っていれば良いのだ。きゃっこうなんて浴びてしまったら人間変わってしまうから、俺は自分を守ろう。それでいいのだ。俺は今のままでも満足だよ。
      
        2021年7月6日火曜日   jin hayama

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